自民党総裁選がいよいよ迫ってきました。次期総裁・総理大臣として最も有力視されている安倍晋三氏の『美しい国へ』(文春文庫)を読みました。これだけはっきりと保守の信念を明らかにする政治家が、日本の総理の椅子に着こうとしているというのは、感慨深いものがあります。そのような総理が誕生する土壌が日本の中に熟成されたと考えていいのでしょうか?
最近、「自由」とは何かということを考えさせられることがあります。これについて、安倍氏は、次のように書いています。
「国家権力は抑圧装置であり、国民はそこから解き放たれなければ本当の自由を得たことにはならない、と国家と国民を対立した概念でとらえる人がいる。
しかし、人は他人を無視し、からみあう無秩序社会、自由にふるまうことが可能だろうか。そこには、すべての要求が敵対し、からみあう無秩序社会ージャングルの中の自由があるだけが。そうしないために、近代社会は共同体ルール、すなわち法を決めた。放埓な自由ではなく、責任をともなう自由を選んだのである。」(p.65)
私たちの社会で保障されている自由とは、勝手気ままな自由ではなく、自由が保障されるが、その裏返しに自己責任が伴うというのです。
『栄光の日本文明ー世界はニッポン化する』(竹村健一・日下公人・渡部昇一著・太陽企画出版)に、アメリカで実際に起こった自由とそれに伴う責任のとり方が紹介されていました。
2004年の大統領選の時、「ベトナム戦争の兵役を逃れるために、ブッシュ大統領が父親のコネを利用したのではないか、その証拠になる手紙がある」と騒がれましたが、その手紙がニセモノだと判明し、それを報道したCBSの有名なキャスター(ダン・ラザー)は辞任し、さらには番組を担当していたプロデューサーや副社長が全員首になったそうです。
「報道の自由」は保障されるが、もし事実を曲解して報道した場合は、責任をとるということがアメリカでははっきりしているという話でした。(同書 p.102-103)
自由を主張するのはいいですが、その代わり、責任も伴っていることを自覚し、自らを律することが必要となります。自由というのは尊重しなければなりませんが、その自由が正しく適用されているか、つまり自分の我がままを正当化するために、「自由」を盾にしているのではないかをしっかり見つめる必要があり、また自由の名のもとに間違ったことが行われた場合には、責任を問うていく必要があると思います。
同じ本の中で、日下氏によるNHK受信料に関する興味深い発言を見つけました。
「受信料については、放送法という法律をつくったときからある議論なんです。その法律をつくった当初はNHK,つまり日本放送協会は、税金と同じに受信料を取っていたわけです。
ところが、民放がたくさんできて、民放が怒った。それで、NHKも民放の一つになりなさいという意見が出たのですが、「いや、それは嫌だ。公共性の高い、立派な放送をするんだから、お金をとらせろ」と突っぱねた。
それで、いまの法律が通るときに、「NHKが偏向したとき、腹が立った聴視者は受信料を払わないぞ、という権利を認めるべきである」という議論が勝って、受信料を払わないことに対する罰則がついていないのです」(p.107-108)
ということは、受信料不払いは、正当な権利というわけですね。
いまの日本では、「自由」が叫ばれるわりには、敗戦直後にGHQの占領政策のもとで行われた検閲・言論統制から真に自由になっていないと感じます。最近、国を抑圧機構としてとらえ、国の検閲から「自由」を守るという『図書館戦争』なる小説が発表されて、ヒットしたそうですが、国と戦うよりも、もっと巧妙かつ徹底した検閲を行った連合国・GHQと戦ってもらいたいものです。GHQによる検閲・言論統制と真正面に対峙することなくして、「自由」はありえないと思います。
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